2 ディオニュシオス1世 (前430?~前367年)





~疑心暗鬼に揺れた古代イタリア・シチリアの王~





 日本では縄文時代の末期にあたります。

イタリアのシチリア島の南東部に、シラクサという都市国家がありました。




このシラクサの僭主(せんしゅ) がギリシア人のディオニュシオス1世です。




僭主というのは、簡単にいえば親などからの後継ぎではなく、実力で支配者にのし上がった者のことです。




性格は残虐で猜疑心(さいぎしん) が強く、さらに執念深い、最悪の暴君の一人として見なされていました。




 ディオニュシオスは、最初は役人として働いていました。




紀元前409年に始まったカルタゴ(現在のアフリカ北部チュニジア) との戦争で手柄を立てたことがきっかけで、王となることができました。



紀元前405年のことです。




民主政治が機能していたシラクサを独裁的に支配し、シチリア島内やイタリア半島南部の都市国家を、次々に征服していきました。




カルタゴとはその後も何度も戦っており、シチリア戦争とよばれています。




 紀元前386年、長い攻城戦の末に、イタリア半島本土のレギオンを陥落させました。

このときディオニュシオス1世は、その住民を奴隷として売り飛ばしています。




ギリシアのアテネとスパルタが争ったペロポネソス戦争では、スパルタ側に就いて参戦し、スパルタの勝利に貢献しました。




後に、ルネサンスの「神曲」 で有名なダンテは、その「地獄篇」で、ディオニュシオスは現世で流血と略奪にふけり、地獄で煮えたぎる血の川で苦しむ僭主だとしています。




 しかし、25歳で王になったディオニュシオスは、王であるがゆえに苦しみ、おびえる日々を送り続けることになったのです。




彼は自分が暗殺されるのではないだろうかと、極端なおびえ方をしています。

まず、衣服の下には鎧(よろい) を着て日々を過ごしました。




疑心暗鬼は散髪にも現れました。

髪は、自分の娘に切らせました。




プロの理髪師が政敵からお金をもらい、王ののどをかき切ることを恐れたからです。




 ところが、自分の娘さえ信用できなかったのでしょうか。

カミソリを使わせませんでした。




  では、どうやって髪を切らせたのでしょう。

 何と、クルミの殻(から) をこすって、そのときの摩擦熱で髪を焼かせたのでした。




僕も娘が2人いますが、赤の他人ならともかく、自分の血を分けた子どもを信頼できないのには驚きです。




 ディオニュシオスは、いったいだれを信頼していたのでしょうか。




 権力を守るために、悲しいほど必死になっている様子がうかがえますね。

 彼の疑心暗鬼は、さらにエスカレートしていきます。




 毎晩、自分の寝室を変えたのです。


 就寝中を襲われないようにするためであることは、言うまでもありません。




 困ったのは、召使いたちです。




 王がどこの部屋で寝るか教えられなかったので、数え切れないほどの部屋を、一つ一つのぞいてまわらなければならなかったのです。




 ディオニュシオスは、寝る時でさえやすらかにゆったりとしていられなかったのですね。




 あげくの果てに、石切り場に牢獄を作らせたときは、わざわざその牢獄に、囚人たちのどんなささやき声も聞こえるような細工を施しました。




 その天蓋(てんがい) の真ん中にじっと座って、囚人たちの話に耳を傾けていたのです。


 猜疑心のかたまりのような王ですね。




 ディオニュシオスは、人を疑うために王になったのでしょうか。


 不安や恐怖にさいなまれながら、実に63年間も王位にありました。




 本人にしかわかりませんが、彼の一生は楽しく有意義な人生であったのでしょうか、とても疑問で考えさせられますすね。
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