2 ムハンマド (570年~632年)




~部族間の差別をなくし本質的平等に生きたアラビアの商人~




 ムハンマドは、現在のサウジアラビアにあるメッカという町で生まれました。

 当時はまだ国そのものがなく、人々は各部族ごとにまとまっていました。



 ムハンマドが所属する部族はクライシュ族という名門でしたが、彼は生前に父を失い、6歳のころには母も亡くしています。


 幼くして孤児になってしまいましたが、一族の中で商人としての経験を積み、25歳のときに40歳の裕福な未亡人ハディージャと結婚しました。



 二人の間には3男4女が生まれ、普通の一商人として生活していました。



 このころのアラビアでは部族間の争いが多く、負けた部族が勝った部族に皆殺しにされたり、奴隷にされるのは当たり前のことでした。



 奴隷はもちろん人間扱いされず、権力者の要求する仕事ができなければ、暴力をふるわれていました。


 このような歴然とした身分差別の中で、ムハンマドは悩み考えます。



 「富はおそろしい。

 富をもつ人の心ほど冷たく荒れはてていく。


 メッカの貴族たちは金もうけに夢中になり、神の言葉に耳を傾けることを忘れている。

 この乱れた世の中をどうしたらよいのだろう。」



 さんざん悩んだ末610年、ムハンマドは貧しい人々や奴隷などの、被差別の立場に立ちます。


 自分はひとりの人間にすぎないが、差別をなくそうとしてアッラーの神のもとの平等を説きました。



 40歳になった彼は、メッカ郊外のヒラー山でアッラーの神の啓示を受け、預言者としての自覚をもつようになったといわれています。



 これが有名なイスラム教の始まりです。



 しかし、イスラム教は初めのうちは、なかなか人々に受け入れられませんでした。



 「すべての人は本質的に平等」

 という考えは、現在では基本的人権の一つとして世界で広く認められています。



 しかし、当時のアラビアの富裕層や権力者たちからは、自分たちの地位を脅かす一種の危険思想ととらえられ、やがて弾圧の対象となりました。



 ムハンマドの布教は命がけの仕事でした。



 メッカの古い宗教を信仰する人々から命をねらわれたのです。



 迫害が日ましに激しくなったのでメッカの町から離れ、アラビアの各地からメッカに巡礼に来る人々のテントをたずねて教えを説くようになりました。



 さらに622年9月22日には、ムハンマドの母の生まれ故郷であるヤスリブという町に移動しました。



 イスラム教ではこれを聖遷 (ヒジュラ) とよび、この年がイスラム暦元年とされました。

 後にヤスリブはメジナ (預言者の町) とよばれるようになりました。



 632年にムハンマドが亡くなったのもこの町です。



 その後何度かの戦いがありましたが、結局イスラム教はアラビアの多くの人々に受け入れられました。


 イスラム教では階級や民族の差別をせず、僧侶階級も存在しません。



 指導者も質素な服装で、ぜいたくをしたりいばったりせず、異教徒であるユダヤ教徒やキリスト教徒の信仰も認め、奴隷にしませんでした。



 ムハンマドが亡くなるときの最後の言葉です。



 「この世に平和を、すべての人々の心に平安を」



 イスラム教徒であろうとなかろうと、ムハンマドの生き方にはとても共感できるところがあると思いませんか。


 これらのできごとの背景には、反差別の考え方があります。




 部族間の差別をもとにした争いや、人間扱いされない奴隷をなくして平和をめざしたのです。


 この人間の心を大切にした平等な考え方が、多くの人々に受け入れられたのですね。




 現在でもその影響は大きく、世界史上忘れるべきでない人物の一人だと僕は思います。
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