第3集 権力と心労に揺れた人々「世界史編」





          はじめに





 権力を握ると自由になれると思っている人が多いのではないでしょうか。

 僕も長い間このように思っていました。




 「権威」 とは人を従わせる力であり、「権力」 とは人を強制する力です。


 だから、自分の思う通りになると考えるのですね。





 人を強制すれば「支配」 が行われます。


 この支配のための道具として利用されてきたのが「差別」 です。





 長い世界の歴史上、いたる所でこの差別が行われ、現在もさまざまな形で使われています。





 しかし、権力を握ること、それはすなわち「心労」 の始まりでもあるのです。

 差別され、支配された人々は、不自由で不自然な状態です。





 こんな状態がいつまでも続くはずがありません。

 早かれ遅かれ、何らかの形での反動は避けられないでしょう。





 権力者は自分の力を脅かす者を排除し、自分を守るために必死になり、いつも何かにおびえている。



 これが、一見強そうに見える権力者の、外からはなかなか見えない姿ではないでしょうか。





 権力は誰のためにあるのでしょうか。

 民衆のためにあることは、言うまでもありませんね。





 これには、一般民衆が必要なものとして、納得して理解していることが、その前提として必要不可欠です。




 これが私利私欲のために使われれば人権侵害につながり、早かれ遅かれ抵抗や反動が起こります。





 古代インド、マウリヤ王朝のアショーカ王は言いました。

 「力で作り上げた王国は、いつか力によって滅ぼされる」





 この言葉の正しさは、その後の世界史が証明しています。





 そして、権力によって立つ者は、いつか権力によって滅ぼされるという事例が、あまりにもたくさんあるのには驚かされます。





 紀元前の古代から現代にいたるまで、世界中でこの現象が繰り返し、頻繁に起きているのです。

 よく見ると、その背景には必ずと言っていいほど、「差別」 が横たわっています。





 長い世界の歴史は「支配と差別の歴史」 である、といっても過言でないくらいです。





 世界史上の数多くの悲劇は、根本において人を見下す「差別心」 から発生しています。





 このことに気づいていても、その差別と支配からなかなか抜け出せずに苦しみ、自分の生き方に疑問を持っていらっしゃる方の数は計り知れないと思います。





 僕自身も、数年前までまさにこのような状態でした。

 差別したり差別されたりという経験は、人間なら誰にでもあると思います。





 僕がこのブログを書こうと思ったきっかけは、権力や不自由と差別心にとらわれている自分自身に、40年以上にわたって気づいていなかったという事実が根底にあるのです。





 歴史は役に立たなければいけないと思います。





 ただ、事実を詳しく書き並べて、おもしろおかしく読める歴史の書物はたくさんあります。

 このブログに登場する人物は、ある意味では反面教師です。





 大きな事業を成し遂げた有名人もいれば、あまり名を知られていない人物もいます。





 ただ、共通して言えることは、自分自身、またはその人の周囲に「権力」 というものがつきまとい、「心労」 に悩まされて痛い目に遭っているということです。





 こうならないためには、どのような方法がありえたのかを考えることで、僕たちの現在、および将来の生き方に生かすことができるのではないでしょうか。





 今回、僕は「人権史観」 の視点から、世界史上の77人の人物に着目してみました。





 上から目線ではなかなか大切なことが見えないので、一般庶民の立場から、その生き方を検証してみました。





 このブログを書く目的は、世界史を見る視点を変えることで、自由で心豊かに生き、「差別意識から解放」 される人を一人でも増やすことにあります。





 これまでの自分の生き方の問題に自分で気づき、それを自分で変えて、幸せに近づける人が一人でも多く増えるように願っています。

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