3 柳 宗悦(むねよし) (1889 ~1961)





~朝鮮民族差別を乗り越えて白磁の美を見いだした民芸館長~





 「朝鮮の独立運動は正しい。

  愚かなのはそれを暴力で弾圧して人権侵害をくり返す日本の方である」




 この勇気ある発言をした人は、柳宗悦といいます。




 1919年、日本の植民地にされていた朝鮮半島で、歴史上有名な「三・一独立運動」 が起こりました。




 当時朝鮮を「遅れた国」 「貧しい国」 としか見ない、差別的な日本人が多数派でした。

 そんな中で、相手の立場に立ち、人間を敬愛し、尊重する態度を堂々と示した数少ない日本の知識人の一人です。





 宗悦は東京都港区で生まれ、1910年、志賀直哉、武者小路実篤ら学習院の仲間たちと、文芸雑誌「白樺」 の創刊に参加しています。




 1914年、韓国で小学校教師をしていた人から土産としてもらった朝鮮陶磁器に注目しました。



 その美しさに魅了され、後に 「素朴な器にこそ驚くべき美が宿る」 と語りました。





 白磁はその代表です。





 プロの芸術家ではなく、無名の職人による誠実な手仕事を「民芸」 と名付けました。





 1916年以降、宗悦はたびたび朝鮮半島に渡り、朝鮮工芸に親しみました。

 朝鮮の人々に敬愛の心を寄せ、当時植民地だった朝鮮に対する日本政府の施策を批判しました。





 外国語である日本語を学校で強制、氏名を日本風にさせる「創氏改名」、労働者としての強制連行、従軍慰安婦など、人権侵害のオンパレードです。





 このような状況で、朝鮮の人々が黙っているはずがありません。



 1919年、独立運動が起こったのは当然のことですね。





 200万人以上が参加し、日本軍や警察との衝突で死者8,000人、負傷者16,000人、逮捕者53,000人におよぶ大事件だったのです。




 残念なことに、当時の日本国民は、その多くが朝鮮半島で起こった単なる「暴動」 と見なしていたのです。



 民族差別を乗り越えて、人間としての自由と平等を求めた戦いであったことは明らかですね。




 「三・一独立運動」 は起こるべくして起こった運動なのです。




 1921年、宗悦は日本で最初の「朝鮮民族美術展覧会」 を開催しました。

 24年にはソウルに「朝鮮民族美術館」 を開設しています。




 そして、36年には東京・駒場に「日本民芸館」 を開設しました。




 ここではアイヌ文化や沖縄文化の尊重も説き、沖縄から北海道まで全国各地を巡り、陶磁器、染織、金工、紙など、さまざまな分野の中から、魅力的な品々を集めました。




 どれも名の知れぬ民衆によって生み出されたものです。




 アイヌも沖縄も、朝鮮民族と同じように被差別の立場に立たされた人々です。

 柳宗悦はこれらの人々を対等に扱い、同じ人間として尊敬し同じ目線で敬愛しました。





 人権感覚豊かな人だったのですね。





 彼は言います。



 「吾々とその隣人との間に永遠の平和を求めようとなれば、吾々の心を愛に浄めるべきである。

 しかし日本は不幸にも刀を加え、ののしりを与えた。




 これが果たして相互の理解を生み、協力を果たし、結合を全うするであろうか。




 いや、朝鮮の全民が骨身に感じるところは限りない怨恨である、反抗である、憎悪である、分離である。




 独立が彼らの理想となるのは必然な結果であろう。

 彼らが日本を愛し得ないこそ自然であって、敬い得るこそ例外である。




 人は愛の前に従順であるが、抑圧に対しては頑強である。

 日本はいずれの道によって隣人に近づこうとするのであろう」





 僕が現在居住する新潟県の我家では、過去3回にわたって、延べ6人の韓国の少女たちや大人たちのホームステイを受け入れてきました。




 寝食を共にした彼女らは皆、明るくさわやかで礼儀正しく、思いやりのある愛すべき人たちです。

 日本の良さについても、一生懸命学ぼうとしていました。





 とてもよい隣人であり、仲間たちだというのが僕の実感です。

 国際理解を大切にすることで、戦争という最大の人権侵害を防ぐことができます。





 柳宗悦の生き方に共感できる人は僕だけではないと思います。





 近年歴史の教科書にも登場しはじめ、大いに学ぶべきことがたくさんある人物ではないでしょうか。
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