13 小林多喜二 (1903~1933)





~労働者解放の立場に立ち身分差別と闘ったプロレタリア文学の旗手~





 「蟹工船」 で有名な、プロレタリア文学の代表的な作家ですね。


中学校や高校の国語・歴史の教科書によく登場するので、作家名や作品名を知っている人は多いのではないでしょうか。




ペンを武器に、その優れた文学作品を通して、一般庶民の立場から、自由と平等を求めて権力と闘い続けました。




しかし、最後は「リンチ殺人」 に等しい拷問で命を奪われていたことをご存知でしょうか。




この時代はペンをとるのも命がけだったのです。


 多喜二は1923年、秋田県大館市で生まれました。




家は貧しい農家だったので、親を楽にさせるために苦学して、北海道の小樽で銀行員になりました。




21歳のときには、実家に仕送りをすることができる、安定した生活を営めるようになっていたのです。


ところが1928年、「3・15事件」 が起こります。




彼の日記は、次のように語っています。




 「雪に埋もれた人口15万に満たない北の国から、500人以上も引っこ抜かれていった。

 これはただ事ではない」




全国で数千人の反戦主義者が逮捕される、大弾圧事件だったのです。



 時は満州事変、日中戦争が起ころうとしている時代で、政府は着々と軍国主義の強化を進めていました。




多喜二は 「1928年3月15日」 という題名の小説を発表しました。


このことにより、国民は「特高警察」 の事実を知ることになります。




特別高等警察の略称で、政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察です。




目を覆うような残虐な拷問をくり返し、たくさんの人々が一方的に殺されました。


 翌1929年、代表作の「蟹工船」 を発表します。




北洋でタラバガニを大量に水揚げする船は、そのまま船内で缶詰にすることができる 「走る洋上の工場」 です。


ところが労働者たちは奴隷のようにこき使われ、病気や死者が続出しました。




階級的な身分差別の結果ですね。




このような中で、労働者たちが権力者たちの人権侵害に対して立ち上がります。

一致団結してストライキを行い、労働者の権利を勝ち取っていくという内容の作品でした。




プロレタリア文学は、働く人々の自覚と要求に基づいた文学です。

しかし、当時の支配者、権力者にとっては都合の悪い作品だったわけです。




 1933年、多喜二はついに特高警察に捕まります。



 天皇への 「不敬罪」 だそうです。




当時共産党員でもあり、民主主義の実現と侵略戦争反対を掲げていたので、早々と目をつけられていたのです。



3時間におよぶ拷問により、29歳の若い命が奪われました。




 全面的な皮下出血、ぐらぐらになりわずかについている歯、コメカミの5~6か所の打撲傷。


 首に一周される深い溝、ばっちり割れそうにふくらみ上がった皮膚、破れた皮膚から顔を出した肉。




 釘を打ち込んだ15~16か所の穴の跡、指が逆になるまで折られた、作家の命である右の人差し指。




 凄惨な死体です。

 これらはいったい何を物語っているのでしょうか。




 特高の発表は、以下の通りです。

 「決して拷問したことはない。あまり丈夫でない身体で必死に逃げまわるうち、心臓に急変をきたしたもの」





 はたして、そうでしょうか。




その後、東大、慶応大、慈恵医大に圧力をかけ、遺体解剖を拒絶させました。




あげくの果てに、葬儀に来た人を次々に参列させないように拘束したのです。

そして特高の一人は、天皇からの叙勲を受けました。




 小林多喜二は、とても勇気をもって生き続けた人です。




この事件は二度とあってはならないことで、彼の死を無駄にしてはいけないと考えるのは僕だけではないと思います。
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