11 西光万吉 (1895~1970)





~自由と平等を求め部落差別に立ち向かった水平社宣言の起草者~





 「差別はどこまでも追いかけてくるのか。

 ならば、このまま逃げていてもだめだ」




 西光万吉(さいこうまんきち) の生き方が変わった瞬間です。

 一時は差別に悩み、自殺まで考えたこともありました。




 しかし逃げずに、仲間とともに自由と平等のために、部落差別に立ち向かう生き方を選んだのです。




 近年、高校日本史の教科書で取り上げられるようになった彼は、日本で最初の 「人権宣言」 とよばれる 「水平社宣言」 を起草した人物です。




 万吉は本名を清原一隆といい、奈良県御所市で生まれました。

 家は西光寺という寺院でした。




 山と川にはさまれた被差別部落で、せまい道が曲がりくねり、くずれかかった家が軒を寄せ合うように建っていたところです。


 現在はお寺もきれいに修築し、手前には 「水平社博物館」 が建っています。




 彼は幼いころから絵や読書が好きで、小学校では特に国語と図工が得意でした。

 しかし、万吉や同じ部落の子どもたちにとって、小学校は決して楽しいところではありませんでした。




 クラスの同級生たちからは、遊びの時も勉強時間でも 

 「お前たちはあっちへ行け」 




 と言って仲間に入れてくれませんでした。



 典型的な 「排除の差別」 ですね。




 中学校では友達ができても、万吉が被差別部落出身と知っただけで、「おはよう」 とあいさつしても、返事もしてくれません。



 あげくの果てに、教師も万吉に出会うと、ぷいと横を向いてしまうことがありました。




 だから奈良県の中学校は2年であきらめ、京都の中学校に転校しました。

 しかし、京都の学校でも、さらに美術を学びに行った東京でも部落差別を受けたのです。




 差別のない新天地を求めて、海外移住を計画したこともありました。


 病気をきっかけに阪本清一郎に連れられて奈良にもどった万吉は、仲間たちとの学習会に参加するようになりました。




 ここで大事なことに気づきます。




 差別は 「する側の問題であって、される側の問題ではない」 ということです。




 「差別に負けてはならない。

 みな同じ人間ではないか。




 人間が人間を大切にしていく世の中をつくろう」




 仲間たちとともに立ち上がって、部落解放運動のための組織を立ち上げることになったのです。



 これが 「全国水平社」 です。




 1922年、3月3日、京都の岡崎公会堂に数千人の人々が集まり、万吉が起草した 「水平社宣言」 が読み上げられました。




 この宣言は現在、中学校や高校の教科書で扱われ、水平社の精神も部落解放同盟の活動に受け継がれています。




 この宣言の中で僕が特に重要だと思うことの一つは 「融和運動」 のまちがいを指摘している点です。




 「部落の人たちは貧しいから助けてあげる」

 という考え方のこの運動は問題がありました。




 これでは部落の人たちを見下し、他人事として 「同情という名の差別」 をしていることになります。



 水平社宣言ではこのことを明確に指摘しています。




 僕自身の反省も含めて、たくさんの人たちが長い間なかなか気づかなかったことですね。

 部落差別はまちがった偏見によるものということは、国際連合からも指摘されています。




 今でも全国で約300万人もの人たちが、この不合理な差別の当事者になっています。



 しかし、現実には部落外の人たちの中には、「自分たちの問題」 であることに気づかないでいることが多々あります。




 就職差別や結婚差別も、毎年後を絶ちません。




 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」




 としめくくった水平社宣言から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。
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