5 吉野作造 (1873~1933)




~民本主義を主張し大正デモクラシーに貢献した大学教授~




 大正デモクラシーの理論的指導者として、中学校や高校の教科書でもおなじみの有名人ですね。

 デモクラシーを 「民本主義」 と訳して提唱し、普通選挙制や政党内閣制の実現も説きました。




 海外の動きについても、朝鮮の独立運動や中国の辛亥革命 (しんがいかくめい) にも共感して弁護しています。




 常に一般民衆の目線で、講演や論文などを通して活動した作造は、多くの国民から支持され、

「日本における民主主義の父」




 と呼ばれています。




 幼少のころは気の弱い子どもで、芝居小屋の太鼓の音に驚いて泣き出したことがありました。

 高校時代は人前でブルブル震えて、なかなか話をするのが容易でありませんでした。




 大学生になっても、作造にとって人前で話をするなどとんでもないことだったのです。




 こんな状態でしたが、政治学者になって社会に出てからは、数々の講演をこなし、公衆の前で自分の考えを自由に話し、時には言いすぎて危険な目に遭うこともあるようになったのです。




 自分の生き方に自信をもつと、人はこれほど変われるものなのですね。




 1916年、「中央公論」 の新年号に論文を発表しまします。




 民本主義というのは

 「政治とは国民全体の幸福を中心に考えるべきだ」




 という主張で、「民衆」 を政治の根本におく考え方のことです。




 この背景には、当時の政府の官僚たちが国民の幸せより、一部の人たちの都合を中心に政治を動かそうとしていたことがあります。



 天皇のそばで政治を操作していた枢密院や軍部の存在もこの傾向にありました。




 民主主義という言葉をあえて使わなかったのは、大日本帝国憲法が天皇主権の憲法だったからです。




 当時の憲法に違反することなく、天皇制をきちんと認めた上で、国民の考えも重視し、国民の考えに基づいて政治がおこなわれるべきだと主張したのです。




 ですから、国民が選んだ国会議員が中心になって、日本の政治を行っていくという考えにつながるわけです。




 この意味で、大正デモクラシーは明治の自由民権運動の延長線上にありますね。


 普通選挙制と政党内閣制の主張も注目に値するものではないでしょうか。




 大正時代のほとんどは制限選挙です。

 これでは高額納税者の男性にしか選挙権がありません。




 貧しい人々や、女性全員が被差別の状態に置かれていることになります。


 また、軍閥による政府も一部の軍人たちの思うがままで、一般の国民の意思とはかけ離れやすくなります。




 上から目線の政治ではなく、国民目線の政治が大切であることを作造は強調したのです。




 1923年、関東大震災がおこりました。




 その甚大な被害はさまざまな本などで詳しく紹介されていますが、僕がここであえて取り上げたいことは、この時に起こった 「朝鮮人虐殺」 の事実です。




 災害のときに無責任なデマが飛び、たくさんの罪もない朝鮮人が次々に殺されたことです。




 この背景には民族差別があることは明らかですね。




 作造はこの虐殺についても批判論文を発表しました。


 日本の帝国主義政策に対して批判的であったため、憲兵に自宅を急襲され、命を狙われたこともあります。




 命がけの活動だったのですね。




 朝鮮で起こった 「三・一独立運動」 について、当時の多くの日本の世論は、次のようにとらえていました。




 「植民地で起こった暴動」




 作造はこの独立運動を、「正しいこと」 ととらえ、道徳的に評価できると弁護しています。




 彼の人間を大切にする豊かな人権感覚に、学ぶところがたくさんあると考えるのは僕だけではないと思いますがいかがでしょうか。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/106-f9b02a05