4 宮崎滔天(とうてん) (1871~1922)





~世界革命をめざし辛亥革命で自由のために闘った孫文の盟友~





 滔天がめざした「世界革命」 とはいったい何なのでしょうか。

 


 それは、貧困と差別的な帝国主義を一掃することです。


 あらゆる国で富が公平に分配され、すべての人が平等に、そして自由で豊かに暮らす世界をめざしました。




 アジア解放はその一環であり、アジアの自由と人権を取り戻すには、中国の興亡盛衰がカギであると判断しました。




 当時の中国である清 (しん) 王朝は列強諸国の餌食になり、半植民地化されていました。


 滔天が中国の辛亥革命 (しんがいかくめい) に孫文とともに命をかけたのは、ここに理由があったのです。




 滔天は本名を宮崎寅蔵 (とらぞう) といい、熊本県の郷士の家に生まれました。

 11人兄弟の末っ子で8男でした。




 15歳の時に、徳富蘇峰の大江義塾の寄宿舎に入り、自由民権運動を学びました。




 その後、東京専門学校 (後の早稲田大学) でも学んでいます。

 長崎へ行ったり、兄とともに上海や香港に渡航したりもしました。




 1897年、運命的な出会いが訪れます。

 横浜で亡命中の孫文に出会ったのです。




 滔天は、孫文がアジア解放になくてはならない本物の革命家であることを見抜きます。




 彼が熱く語る三民主義 (民族の独立、民権の伸長、民生の安定) に胸を撃たれ、生涯をかけることを決心しました。




 99年にはフィリピン独立戦争に協力します。

 これも帝国主義からアジアを解放しようとする行動の一つです。




 民族差別との闘いですね。 




 アメリカ相手に苦戦するフィリピン独立軍のために、武器の援助を行いましたが、このときの船が台風で沈没してしまい、目的は達成できませんでした。




 1902年には 「三十三年の夢」 という本を出版して、孫文の志を広く紹介しています。




 清王朝の重税に不満をもつ人々を中心に、中国全土に孫文の名が広がっていったことは言うまでもありません。




 孫文の日本での活動は滔天が徹底的に支援し、中国でのいくつかの蜂起にも参加しています。

 武器の調達は滔天が行いました。




 まさに全財産を投げ打って孫文にかけたのです。




 1905年、ついに 「中国革命同盟会」 を結成させることに成功します。




 革命がおこることが決定した歴史的瞬間ですね。




 辛亥革命の活動拠点は日本だったのです。




 革命が必要と考える中国人の団体はいくつもありましたが、これらを一つにまとめる働きをした人が、実は日本人である宮崎滔天だったのです。




 1911年、世界史上有名な辛亥革命がおこりました。

 アジアで最初の共和国の成立です。




 孫文が臨時大総統になり、「中華民国」 が成立したことは、歴史上よく知られていますね。

 滔天自身もこのとき革命成功のために中国に渡り、活動に参加しました。




 実はこの後、袁世凱 (えんせいがい) からも声がかかっています。

 袁は孫文の次に臨時大総統になった人物です。




 しかし、革命成功の功として、滔天に中国米輸出権を与える代わりに、袁を支持してほしいという内容のものでした。




 滔天はこれを断固拒否しています。




 上から目線で 「自分が皇帝になるので協力しろ」 と言っていることを見抜いていたので、この拒否は当然ですね。



 
 地位も名誉もなく、家族も財産も投げ出して、すべてを帝国主義という差別との闘いにかけた人権感覚豊かな日本人。




 宮崎滔天こそ日本史のみならず、世界史上でももっとたくさんの光があてられてもよい人物ではないでしょうか。



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