2 尾崎行雄 (1858 ~1954)





~第一次護憲運動で藩閥内閣と闘った衆議院~





 これは世界記録ではないでしょうか。



 連続当選25回、議員歴63年。

 他に聞いたことがありませんね。




 なぜ尾崎行雄はこのような長い間、衆議院を続けることができたのでしょうか。


 それは、終始一貫して民衆の側に立って、藩閥や軍閥と闘ったからです。




 彼の雄弁は天下に鳴り響き、第一次護憲運動がおこると 「憲政の神様」 と呼ばれました。


 また、「議会政治の父」 とも呼ばれ、常に国民の目線でその熱き生涯を生き抜きました。




 神奈川県に生まれた行雄は、意外にも幼少のころはひどく臆病な子でした。


 おどおどした態度がいじめっ子たちの標的になり、からかわれたり石を投げられたりして 「いじめ」 にあいます。




 被差別の立場に立たされてしまったのですね。




 裁判関係の仕事をしていた行雄の父は、何とかしようとして罪人の拷問や斬首を見せたりしましたがこれは大失敗。

 かえって逆効果になってしまいました。




 そんな彼も慶応義塾で学んだことや、その後のいくつかの仕事の経験を通して努力を続け、語尾を強調するいわゆる 「尾崎調」の弁論術を確立していきました。




 1879年には福沢諭吉の推薦で 「新潟新聞」 の主筆になりました。




 1882年には立憲改進党の結成に参加し、87年になると後藤象二郎のもとで自由民権運動の一つである 「大同団結運動」 を推進しました。




 しかし、政府の弾圧政策である保安条例により東京退去を命じられ、アメリカとイギリスに渡って、民主主義の進んだ外国の刺激を受けることになりました。




 1890年、第1回衆議院総選挙が行われました。

 日本初の選挙として有名ですね。




 行雄は三重県から立候補して当選しました。

 以後1952年まで驚異的に連続当選します。




 1913年の国会での演説は特に有名です。




 「ことがあるたびに忠君愛国、忠君愛国とくり返している者がいる。

 しかし、実際には天皇の名を借りて反対派を攻撃し、自分勝手な政治を行っているだけだ。




 このような卑劣なやり方をしているのは、桂首相、あなただ」




 これは憲政擁護運動、すなわち第一次護憲運動のクライマックスですね。




 国会の周りは自由を求める多くの国民が取り囲んでいます。

 まもなく桂内閣は退陣に追い込まれました。




 その後、普通選挙を求める運動の先頭に立ち、第二次護憲運動では治安維持法制定に反対しました。


 時代が昭和になって、1942年に出された、東条英機首相に対する公開質問状も有名です。





 「大政翼賛会は国家の金で選挙を行っている。

 明らかな憲法違反であり、これでは官が選んだ議員が政治を行う “官選議員” を作り出すではないか。




 直ちに暴挙を止めよ」




 このとき行雄は 「不敬罪」 という天皇に対する罪で逮捕拘留されましたが、大審院では無罪になりました。




 その後の選挙でも彼は当選し続けます。

 国民の立場から、きちんと国民の声を発言し続けているので、心ある国民の代表になっていたのですね。




 ちなみに、このとき政府は戦争を始めていました。


 あの有名な 「太平洋戦争」 ですね。




 二度とあってはならないことであることは、その後の歴史が証明しています。




 基本的人権尊重の視点から、この大正時代前後の歴史を見ると、尾崎行雄はなくてはならない人物ではないでしょうか。




 彼の生き方から学べることはたくさんあります。


 高校の教科書で、それほど大きく取り扱われていないことが不思議なくらいです。





 僕は国の内外を問わず、もっと多くの人々に知られるべき人物ではないかと考えています。
 
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