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第5集への中間報告17   3uwl1b


こんにちは。


第5集への準備は予定全体の約9割がまとまった状態まできました。残りはあと少しです。来月には公開できそうです。最後の場つなぎになりそうですが、今回も短い記事でご容赦願います。


 17回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



場つなぎのためのミニ記事17



 今回も、基本的人権の視点からみた歴史上の人物の一人として、石橋湛山(いしばしたんざん) (1884~1973)を紹介します。この人物もつい50年ほど前まで生きていた人ですね。


小中学校の歴史教科書にはまず出てきません。僕が今使用している高等学校日本史Bにも出てきません。ところが不思議なことに日本史Aには出てくるのです。


前回の記事で書いた伊東三郎(いとうさぶろう)と同じように、現在勤めている高校の日本史Aの教科書中の 本文と「人物歴史館」 というトピックスに写真付きで出ていたので紹介します。



石橋湛山(いしばしたんざん)



(本文の記述)

 東洋経済新報社の石橋湛山は、普通選挙の実現を説き、シベリア出兵反対、朝鮮・台湾の植民地放棄などを主張した数少ない言論人だった。


これらの思想は、大正デモクラシーの思想として、1910~1920年代の日本の政治・社会・文化に大きな影響を与えた。



(トピックス人物歴史館の記述)

 ジャーナリスト、政治家。戦前には「東洋経済新報」で論陣をはり、ワシントン軍縮会議に際しては、台湾・朝鮮などの植民地を放棄して、平和的な加工貿易立国による小日本主義を唱えた。


湛山は、植民地を放棄して大日本主義を捨てることは決して日本に不利なのではない。広大な中国を「我が友」とし、「東洋ないし全世界の心からの支持を有する」ことにつながるのだと力説した。


日中戦争開戦後も長期戦をいましめる主張を続けた。若いころ、早稲田大学哲学科で個人の生活を一切の基礎におく自由主義を学んだ湛山は、生涯その思想をつらぬいた。戦後は政界で活躍し首相になったが、病気のために総辞職した。

      高等学校日本史A 東京書籍 から抜粋



 この時代においてこの主張です。時は第一次世界大戦から始まって、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争オンパレードと言える時代です。


 国際理解、世界平和とは程遠い人権侵害の嵐でした。どのできごとも、二度と繰り返してはならない事件であることは明白ですね。


このような逆境の中で、石橋湛山の信念を貫いた言動は、勇気ある発言として注目したいと考えるのは僕だけでしょうか。


歴史を基本的人権の視点から学んでいくと、湛山は日本史上欠かせない人物だと僕は考えています。病気で内閣総辞職になり、首相を辞めざるを得なかったことが惜しまれます。


外国人差別意識から解放されていたからこそできた主張だったのではないでしょうか。彼の思想は現代の人権感覚に通ずるものがあり、日本史上もっと多くの人々に知られても良い人物なのではないでしょうか。


中国や台湾、朝鮮半島の国々などを「我が友」とする考え方にはとても共感できます。そして世界史上でも、もっと多くの世界の人々に知ってほしい貴重な人物ではないかと僕は考えています。
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第5集への中間報告16   3uwl1b


こんにちは。


第5集への準備は予定全体の約7割がまとまった状態まできました。残りはあと3割です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。


 16回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



               場つなぎのためのミニ記事16



 今回も、基本的人権の視点からみた歴史上の人物の一人として、伊東三郎(いとうさぶろう) (1902~1969)を紹介します。つい50年ほどまえまで生きていた人ですね。


外国語などの世界的な言語に精通している人や、岡山の地元の方々以外ではあまり広く知られている人物ではないと思います。僕も長い間知りませんでした。


前回の記事で書いた久志 芙沙子 (くしふさこ)と同じように、たまたま現在勤めている高校の日本史Aの教科書中の 「人物歴史館」 というトピックスに写真付きで出ていたので、偶然知ることになりました。


ある意味では人権感覚豊かな17歳の少年だったのではではないかと考えられるので、この教科書の記述を是非紹介させてください。



               伊東三郎 (いとうさぶろう)



 エスペラントで世界の平等の理想を求めた人。


エスペラントとは、言語による民族支配や差別をなくすために考えられた国際共通の補助語であり、第一次世界大戦後の世界で広くうけとめられた。


少年時代にエスペラントを知った伊東は、1919年、17歳のとき、パリ講和会議の前に各国全権大使に絵葉書を送った。


絵葉書には、エスペラントで「平和を祝す、世界の民衆の幸福」のための努力を望むと書いてあり、イタリア代表から返事が届いた。

                     高等学校日本史A 東京書籍 から抜粋



 少し調べてみると、エスペラントというのは人工的に作られた世界共通語です。ルドヴィコ・ザメンホフとその協力者が考案しました。英語を始めとしたヨーロッパ系の言語に少し似ていますが、比較的簡単なのだそうです。


 彼はポーランド人で眼科医をしていました。現在世界で100万人ほどの人々が使うことができると推定されています。僕は全く書くことも話すこともできませんが。


 世界全体の人口から考えると、100万人は少数派。僕が居住する新潟県の人口の半分にも満ちません。伊東三郎はこの世界共通を目指す言語を学んでいたのですね。


 そして、第一次世界大戦後のパリ講和会議に出席していたイタリア代表もエスペラントを学んでいたと考えられます。


 戦争は最大の人権侵害です。罪のない人を次々に殺害していくからです。第一次世界大戦のさまざまな原因の中の一つとして民族差別意識があるのは明白です。


 伊東三郎はエスペランスを通して、この民族差別意識から世界が解放されることを目指したのだと思います。その意味で、僕は日本史上、世界史上においても注目すべき人物ではないかと考えています。


 いつの日か、国際連合がこのことに注目する日が来るかもしれません。そうなれば、世界史上の大きな変化への第一歩になる可能性があるのではないでしょうか。

第5集への中間報告15   3uwl1b


こんにちは。


第5集への準備が、やっと進んできました。予定全体の約2分の1がまとまった状態です。残りはあと半分です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。


 15回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事15



 今回は、基本的人権の視点からみた歴史上の人物の一人として、久志芙沙子(くしふさこ) (1903~1986)を紹介します。


戦前の文学に精通している人や、沖縄の地元の方々以外ではあまり広く知られている人物ではないと思います。僕も長い間知りませんでした。


たまたま、現在勤めている高校の日本史Aの教科書中の 「人物歴史館」 というトピックスに出ていたので、偶然知ることになりました。


人権感覚豊かな人物ではないかと考えられるので、是非紹介させてください。



                   久志芙沙子 (くしふさこ)



 沖縄出身で戦前の数少ない女性の作家。首里の士族の家系に生まれたが、琉球処分で家が没落し、幼いころから貧しかった。


文学への夢をいだいた久志は上京し、1932年に 「滅びゆく琉球女の手記」 (婦人公論) を発表した。


この文章に対して、在京の沖縄県人会などは、沖縄の風俗習慣を洗いざらい書くと、アイヌや朝鮮人と同一視されて迷惑だと批判した。


これに対して久志は、ソテツ地獄下の沖縄の惨状から目をそらさず、貧しい人々や女性がしいたげられることを批判し、さらに 「人間としての価値」 を重視する考えから、沖縄県人もアイヌや朝鮮の人も大和民族も、みな 「何らの差別のない、おたがいに東洋人だと信じております」 と反論した。

高等学校日本史A 東京書籍 から抜粋



 彼女を迷惑だと批判した当時の人々が、アイヌ民族差別や韓国朝鮮民族差別をしていたことは明白ですね。差別はする側の問題だから、これでは自分たちが不幸になってしまいます。


 久志芙沙子の反論は、戦前の当時どれだけの人に理解されたかはわかりません。しかし、「人間」 を大切にするとても重要な行動だと思います。


 差別意識から解放されていなければできないことと考えられます。


  今ならよく理解できるけれど、自分自身が当時に生きていたとしたらどうでしたでしょうか。差別をする側に流されてしまっていたかもしれません。


 自問自答すればするほど、人権感覚の大切さに改めて気づかされます。


 現在に生きる僕たちにも大いに学べるところがある人物です。彼女こそ昭和初期という時代の中で、自由と平等のために民族差別と闘った数少ない女性だったのではないでしょうか。
 
第5集への中間報告14   3uwl1b


こんにちは。


先月に引き続き、わずかながら一歩進歩してきました。でも、第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1から抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。


 14回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事14



 今回は、川口泰司(かわぐちやすし) さんが投稿された新聞記事の一部を紹介します。川口さんについては、小生のブログの中間報告7で少し詳しく紹介しました。今一度確認してご覧になっていただけると幸いです。



コロナとヘイトに抗して

~差別に人権対策を~



 新型コロナウイルスの感染者や医療従事者などへの差別や人権侵害が深刻化している。


ネット掲示板やSNS上では感染者を特定する情報などが飛び交い、感染者等へのバッシングが行われている。


感染者の自宅の壁に貼紙や落書きをされたり、周囲の目が厳しく転居した家族もいる。


医療従事者や長距離運転業者の子どもが保育園の利用を拒否され、集団感染が発生した大学や施設に誹謗中傷や脅迫などの電話やメールが大量に送られ、感染していない学生までがバイトを解雇され、大学名をいうだけで入店拒否をされる。


 このようなコロナ差別の現実を前にして、三重県知事は差別防止の声明を出し、相談窓口を設置した(4月20日)。


沖縄県石垣市では患者や医療従事者への差別禁止規定を盛り込んだ 「新型コロナウイルス感染症対策条例」 を臨時議会で可決(5月8日)。


鹿児島県や徳島県もコロナ差別を対象としたモニタリングをスタート。尼崎市も啓発ポスターを作成し、コロナ差別防止の市民啓発をはじめている。

2020年5月25日(月) 解放新聞の一面記事から一部抜粋



 僕は、この記事の内容は他人事ではないと思いました。実際に僕が居住する隣町でのある感染者は、自宅にペンキで誹謗中傷の落書きをされ、ペンキを玄関にぶちまけられたそうです。その結末は一家そろっての転居。


 また、僕の自宅から一番近いところにある大学でも、つい先日感染者が出ました。いわゆる第二波は、地方の中小都市でも着々と進んでいると考えられます。


 ここ数日気になるのは 「差別の正当化」 です。差別はする側もされる側もどちらも不幸になります。だからやってはいけない行為になります。


 しかし、差別者本人が悪気はなくても、自分が差別意識をもっていることに気づいていない事例がたくさんあります。


 一例をあげると 「これは差別ではなく区別です」 という正当化です。区別には攻撃や理不尽な排除はありません。差別にはこれがあるのです。


 なぜこのようなことを書くかというと、過去の僕自身がそうだったからです。差別は見ようと努力をしなければ、見抜けるものではありません。


自分自身の反省と学びなおしも含めて、差別と区別の違いをしっかりと見抜けるように、これからも学び続けていきたいです。

第5集への中間報告13   3uwl1b


こんにちは。


わずかながら、一歩進歩してきました。でも、引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1から抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。


 13回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事13



 今回は、高内小百合さんの新聞記事を紹介します。ご存知の方はそれほど多くないと思います。新潟県の地方新聞、新潟日報の論説編集委員をされている方です。


つい先日の社説の一部です。僕はこの記事の中で、特に外国人留学生の扱いの意見について大いに共感しています。この場を借りて、是非紹介させてください。



見えてきたもの

~差別や排除ではないのか~



 いいとこ取り、ご都合主義、排除・・・。このところ折に触れ、頭の中を巡る言葉だ。


 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言で外出自粛や休業の要請を受けたのは、今この国に住む人に共通のはずだ。


 それなのに、国からの給付金などでは受け取れる条件に差がついたケースがある。


 例えば学生らへの支援。原則自宅外で生活、学費を賄うアルバイト収入が月額5割以上減少など一定の条件を満たせば、最大20万円の現金が給付される。だが、留学生に限って成績上位3割程度という要件を国は設けた。


 留学生の中には、飲食店などのアルバイトで学費や生活費を工面している人が大勢いる。人手不足の業界の支え手にもなってきた。支給対象外になる約7割の中にはこうした人も含まれる。


 国は留学生受け入れ30万人という目標を掲げ、訪日観光客と同じく積極的に増やした経緯もある。


 持続化給付金では性風俗事業者を対象から外した。性風俗産業を営む人も国民であり、これは職業差別ではないかという声がある。


 性風俗事業者への給付に国民が理解を示すのかと国は言うが、生活が懸かっている局面で排除していいのだろうか。


 平時には歓迎や許可しているのに、緊急時には手のひらを返すように映る。経済振興、国際交流・・・と表の面が普段は強調されるが、ウイルス禍は差別や排除につながりかねないこの国の側面も浮き彫りにしたようだ。

2020年6月29日(月) 新潟日報 社説 高内小百合




 前者は典型的な外国人差別、後者は典型的な職業差別だと思います。問われるのは、外国人であるかどうかということや職業の種類ではなく、この不公平な制度を考えた人たちの人権感覚です。


一週間ほど前には新潟でもアメリカの人種差別に対する抗議デモがありました。 あっちもこっちも差別だらけですね。


 僕はここ数年でロシア、中国、ベトナムに対する見方が大きく変わりました。現在勤めている大学での授業科目は「外国人のための日本語」です。だから、相手の学生は全員外国人留学生です。


 彼らはとても愛すべき人たちです。勇気を出して国境を越えて日本へ渡り、日本語という日本人でも難しい外国語を誠心誠意こめて日夜勉強しています。


質問もよくしてきます。彼らの熱心さにはいつも頭が下がる思いです。同時に、教えている僕自身もハッと気付いたり、改めて学ばされたりすることがたくさんあります。


 僕が彼らと接していてまちがいなく言えることは、日本人学生も外国人留学生も同じ人間であり、同じ大学生です。どちらも日本や世界の未来を担う大切な人たちです。