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第5集への中間報告11   3uwl1b


こんにちは。

 今月も相変わらず先月と同じ状態が延々と続いています。引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1の状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。

 11回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事11



 今回は、樋口季一郎(ひぐちきいちろう) を紹介します。歴史上の人物としては、あまり広く知られている人物ではありません。僕も最近になって、初めて知った人物です。


何をしたのかというと、一言でいえば 「民族差別を乗り越えて多くのユダヤ人の命を救った」 ということになるでしょう。


 時は第二次世界大戦のさなか、ソ連と当時の満州国との国境近くでの出来事です。季一郎は、ナチス・ドイツの迫害を逃れてソ連のオトポールという町から当時の満州国へ命からがら逃れようとしていたユダヤ難民を、勇気と信念をもって救ったのです。


 その人数は80~数千人という説や2万人という説まであって、正確な数は今もわかっていません。はっきりしていることは、衣類や食料、医師を手配し、国境地帯から満州国の中部のハルビンまで特別列車を走らせたことです。


 この逃避行ルートは 「ヒグチ・ルート」 と呼ばれました。このことを知った日本の同盟国、ナチス・ドイツの外相は再三にわたって抗議文を突きつけます。軍人であった季一郎は、当時の関東軍総参謀長の東条英機に呼び出されてしまいました。


 この時の彼の毅然とした言葉が痛快です。 

「ヒトラーのお先鋒を担いで弱い者いじめをするのが正しいのですか」 


 さすがの東条英機も心に響いたのでしょうか、「オトポール事件」と呼ばれる独断で行われた難民救出は、「不問」になりました。


 有名な杉原千畝(すぎはらちうね) がユダヤ難民に対する「命のビザ」 を発する2年前の出来事です。


 戦後、ソ連のスターリンは東京裁判で季一郎を戦犯に指名し、身柄の引き渡しを連合国に要求しました。これを拒否したのがマッカーサーです。この背景には、ニューヨークに本部を置く世界ユダヤ人協会の支援活動があると考えられます。


 いずれにせよ、民族差別意識から解放されていなければできないことだと思います。僕が唱えようとしている基本的人権の視点から歴史を見るという考えを重視すれば、樋口季一郎は日本史上の重要な人物の一人になるのではないでしょうか。


 民族差別、人種差別などの人権侵害が渦巻く第二次世界大戦。この極めて厳しい状況の中で、温かい一筋の光が見えるようですね。世界史上でも、もっと広く知られてもよい人物と考えるのは僕だけでしょうか。
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第5集への中間報告10   3uwl1b


こんにちは。

 先月と同じ状態が延々と続いています。引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1の状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。

 10回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事10



 今回は、佐藤勝則さんの新聞記事を紹介します。ご存知の方はそれほど多くないと思います。新潟県の地方新聞、新潟日報の論説編集委員室の次長をされている方です。
つい先日の社説の一部です。僕はこの記事に大いに共感し、日本全国さらに世界中でも、一人でも多くの方々に読んでいただきたいと考えています。



偏見と差別

~感染症より怖いものとは~



 犯人捜しをしていませんか・・・・。

新型コロナウイルスの感染確認が県内でも相次ぐ。県民の不安を払拭(ふっしょく)するため、県や新潟市は感染者の行動歴を公表する。

 本誌の紙面でも図表を使って感染状況を分かりやすくしているのだが、本人を特定して不安をあおるためではない。

 県や新潟市の担当者は、感染の拡大防止とプライバシー保護の観点の双方を考えながら、公表内容を検討している。

 感染者が関係する所属先が公表するのは、他の企業や団体に広がる風評被害を軽減するのが大きな目的だろう。

 それなのに、である。

 地域社会は狭いから、個人名を出さなくても感染者は特定されてしまう。

 すると、居住地域の行政窓口にはこんな電話が殺到する。「あいつや家族を家から出すな」

 影響は、感染者の親族が勤務する職場にも広がる。職場の上司が「どうしてくれるんだ」と怒鳴り込んでくる姿もある。

 未知の病に関して、私たちは過ちを繰り返してきた。例えば、ハンセン病だ。らい予防法によって患者は施設に隔離された。

 ハンセン病の特効薬が見つかり、病気の実態が分かっても元患者は施設を離れられない。偏見と差別が消えることがないからだ。

 感染者は健康観察期間を終えると、通常の生活に戻る。

 未知の感染症は確かに怖い。だけど、偏見と差別に満ちた社会は、それ以上に恐ろしい。

2020年3月14日(土) 新潟日報 社説 佐藤勝則



 いかがでしょうか。典型的な病気差別が、世界中のあちらこちらですでに報告されています。海外では、日本人だということだけで物をぶつけられたという事例もあります。

差別をしない、されても負けない。このために僕たちは何ができるのか、これからも考え続けていくことが必要なのではないでしょうか。
第5集への中間報告9   3uwl1b


こんにちは。

 相変わらず足踏み状態が続いています。引き続き第5集への準備は、予定全体の約5分の1からなかなか抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。

 9回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事9



 「人権3法」をご存知でしょうか。すでに2016年、新聞やテレビでも報道されているので記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。僕が居住する新潟県新発田市が人権学習用に作成したパンフレットの文章がわかりやすいと思うので、改めて紹介します。


障害者差別解消法 (障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)
 障がいのある人もない人も、互いに、その人らしさを認め合いながら、ともに生きる社会を作ることを目指し、2016年(平成28年)4月1日に施行されました。
 この法律は、障がいを理由とした不当な差別的扱い (正当な理由のないサービスの提供や拒否の制限、障がいのない人には求めない条件の付与など) を禁止しています。また、障がいのある人とない人に平等な機会を確保したり、車いす利用者が容易に建物に入ることができるように、建物の入り口の段差を解消するためのスロープを設置したりするなどの合理的配慮を求めています。


ヘイトスピーチ解消法 (本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)
 「特定の人種や民族、宗教への差別」をあおる憎悪表現 (ヘイトスピーチ) の抑止・解消を目的に、2016年(平成28年)6月3日に施行されました。
 この法律は、不当な差別的言動の解消に向け、国や地域社会が、教育や啓発広報、相談窓口の設置など地域の実情に応じた施策を講ずるように定めています。


部落差別解消推進法 (部落差別の解消の推進に関する法律)
 部落差別のない社会を実現することを目的に、2016年(平成28年)12月16日に施行されました。
 特別措置法の失効後も、近年の情報化の進展に伴って、インターネットに差別的な情報が発信され、差別の拡大、悪質化が進んでいることなどを背景に、「現在もなお部落差別は存在する」と、部落差別の存在を法律で初めて明らかにしました。
 この法律により、国及び地方公共団体には、部落差別の解消に関する施策を講じたり、相談体制の充実を図ったり、必要な教育及び啓発を行ったりする責務が生じています。


 以上の3つの法律をまとめて「人権3法」と呼びます。基本的人権の視点から長い日本の歴史を見ていくと、特筆すべき日本史上の画期的な出来事と考えるのは僕だけでしょうか。
第5集への中間報告8   3uwl1b


こんにちは。

 この1か月、またしても足踏み状態が続いています。第5集への準備は、予定全体の約5分の1からなかなか抜け出せません。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。

 8回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。



             場つなぎのためのミニ記事8



先日、1月25日(土)、新発田市内にある人権啓発団体の学習会に参加してきました。各学校の教員を始め、議員、行政職、自治会、宗教の住職、被差別の当事者など、職業や立場を越えて、幅広く200名ほどの方々が毎年参加しています。


講師は中倉茂樹(なかくらしげき)さんでした。彼もとても人権感覚豊かな方です。徳島県人権啓発青少年団連絡協議会の事務局をされています。小学校、中学校時代にはいじめを受けて不登校になった経験もあります。


僕が最も印象に残ったのは、結婚差別の話でした。彼の場合は、何と生まれる前から始まります。一歩間違えば中倉さんはこの世に誕生しなかった危険があったのです。母親が妊娠中に部落差別のために中絶させられそうになっていたからです。


本人が成長し、結婚する際にも差別が起こりました。結婚相手の保護者や親戚、誰も中倉さんに会おうともしなかったそうです。幸いにもこの結婚は成立し、今では3人のお子さんの父親になっています。


彼の友人の一人のNさんも、すごい体験をしています。やはり部落差別のために親や親戚25人から強烈に反対され、彼らによって結婚相手の彼女が自宅に監禁されてしまいました。


そこで寄ってたかって妊娠中絶を迫られたのです。熾烈な光景が目に浮かびますね。中倉さんをはじめ、20数名の友人たちが協力して「救出」に成功しました。危機一髪で大きな人権侵害を防ぐことができました。


こうして中絶そのものは防ぐことができましたが、強力なストレスからでしょうか、生まれた子は流産という悲しい結果になってしまいました。続いて2番目の子も流産。今生きているNさんと彼女のお子さんは3番目の子だそうです。

これらはほんの一例にすぎず、全国には目立ちませんが、まだまだ数多くの結婚差別の事例があります。今準備中の「差別と歴史上の人物 第5集」ではこのことについての記事を一つ書く予定です。


詳細はそこで書きますので、ここでは結論だけ述べます。僕は長い間 「自分も妻も被差別部落の出身ではないから、部落差別による結婚差別は関係ない」 と思っていました。しかし、今ではこれは間違いだと考えています。なぜなのでしょうか。





<お知らせ>

2月21日(金)~25日(火)まで、海外へ行くため、皆様のブログへの訪問・応援活動を一時中断する予定です。帰国したらまた再開しますので、あらかじめお知らせいたします。今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。